文京認知神経科学研究所とは

文京認知神経科学研究所の理念と目的についてご紹介します.

 私は、神経科学総合研究所(神経研)にいた5年間を除き、臨床神経学、神経心理学などをずっと現場で実践してきました。経験を重ねることで、神経内科や神経心理学のエキスパートと言えるようにはなったと思います。といって私が特別なのではありません。皆さんそれぞれが、随分若い方を除けば、領域は異なっても、エキスパートであると思います。

 エキスパートというとどういう方を思い浮かべるでしょうか。経験を積むことによって、様々な状況に応じフレキシブルに物事に対応できる人を想像する方が多いことでしょう。ただどうでしょう。エキスパートと呼ばれる人の中に、対応にだんだん柔軟性がなくなって、限られた事柄について他の人より早く処理することに優れる、そういう硬直化した面がみられないでしょうか。
 物事の深い意味をじっくりと考えることが少なくなったと強く思うようになり、このままではいけない。あの神経研にいたときのように、朝からじっくりと考えることをもっとしてみたい。こう思うようになったことがきっかけで、この研究所を設立しようと思いました。

 だがいったい何をどうしたいのか? 自身の胸中を深く掘ってみると、1つのことが浮かんできます。口幅ったいですが、認知神経科学の難問を一つでも解明するということです。そのために、多くの人が集まって議論しながら行なうことも意味あることです。ただ私は、少し自分一人で考えてみたいのです。

 認知神経科学の領域の多くの方は、実質的な脳のハードウエァを研究し、それをより進めていくことが心と脳についての発見につながると考えておられると思います。しかし、私がその領域にこれから入るのは今までのキャリアをみても能力からも無理です。私はハードウエァの研究を個々により進めるだけでは、例えば意識、記憶などの知の領域の問題を解決するのは難しいと思っています。といって、脳損傷の患者が示す症状を単に正確に記載するだけでもそれは難しいでしょう。その中間のレベルにあたるアルゴリズムの研究が必要です。先に述べた2つのレベルから思考をジャンプさせる、そのことが必要ではないかと思っています。

 ではそのレベルで何か新しいことを見出すにはどうするのがよいのか? 私の尊敬する故月田先生は、「大きな宝のそばを通りかかったとき、それが宝だと気づくのは少数の人である。その宝を見つける視力を鍛えるのは、勉強しかない」という趣旨のことをある本に書かれています。月田先生が、この認知神経科学の最先端のことが書かれている雑誌や教科書を読むことを強く勧めていると思った方もおられるでしょう。そうではありません。論理学としての数学、個々のことがらではなく一般化を思い切って行う物理学、多様性を教える生物学それらを勉強しなさいと言っているのです。それもただ単に物知りになるのではなく、自分なりの知識体系を頭の中に作ることが大事と教えています。最後のことは、私のもう一人尊敬する倉智先生の教えでもあります。

 それが私に欠けていることだと気付き、その視力を鍛えることを今は行っています。このことを日課として行えることは幸せなことです。少し怠けてくると、お前は本当にこのことがしたかったのではないのかと自問し、机に戻るようにしています。

 そうはいっても部屋に閉じこもっていただけでは、幸運に恵まれないでしょう。手を動かす、機械を使って何かをすることが重要で、そのことも続けていきたいと思っています。おかげさまでいろいろな方にお世話になって、いくつかの病院で、患者さんを診ていろいろ考えることも行っています。またまだ始めていませんが、できれば3teslaのMRIを用いて研究をすること、それを希望しています。